文学の中の科学 伊坂幸太郎氏の場合

先月の読書会で、伊坂幸太郎さんは女性に人気があるらしいけど、どうも僕はダメで…という男性が2名ほどいらっしゃいました。5月に「重力ピエロ」が映画化され、美術鑑賞サークル界隈でも話題になったので、初めて読んでみました。そしてまぁいろいろと思うところはあったわけですが(後述)、なんとなく上品で知的な雰囲気漂う文調に安心感を覚えて、私は気に入ったわけです。(行儀のよい優等生タイプが好きなもので…すいません。)しかし、次に本屋で平積みになっている「終末のフール」は読了するのがかなり辛かったですね。話の盛り上がりに欠け、淡々としすぎてつまんないのですよ。登場人物にあまり覇気とか情熱を感じないんですよね〜。まぁ仕方ないのかな?小惑星が衝突し、地球が滅亡する運命を受け入れ、残された時間をどう過ごすかという設定ですからね。そういう現象が現実に起こりうるかどうかは大した問題ではないのですが、謝辞で著者が

この物語にでたらめが多いのは、「フィクションは嘘が多くても、楽しい」と考える僕自身の考えによるものです。

と述べているのは聞き捨てならないと思いました。「重力ピエロ」に話を戻しましょう。この物語は遺伝子診断の会社に勤務する「私」が主人公であるため、ところどころにDNA塩基配列のエピソードや遺伝子、がんの話題が出てきて、それらが放火事件の鍵を握っているのです。私の専門はバイオですから、なにこれ生物サスペンス?と思わずはまってしまいました。最近では小川洋子さんの「博士の愛した数式」にしろ、東野圭吾さんのガリレオシリーズにしろ、著者の方が一生懸命勉強されて、「科学」をモチーフとして小説に取り入れようとされているところに感心しております。ところがですねぇ、上記のセリフのようにツメが甘いと、専門家から「おいおいそれはないだろう!」と指摘されてしまうようなミスを犯してしまうわけですよ。私が「重力ピエロ」において、残念でならなかったところ、それは病魔に倒れた父が長生きできるように、弟の春がTTAGGGというテロメア塩基配列に合わせてチャイコフスキータキトゥスアインシュタイン・・・と頭文字が配列に対応するような人名をノートに祈りのように書き連ねている部分です。確かに、細胞というのは分裂するごとに染色体のテロメア部分が短くなっていって、最終的には正常な分裂ができなくなって寿命を迎えるという説があります。しかし、父親の病気は癌ですよ。がん細胞というのは分裂しても、テロメラーゼによってどんどんテロメア部分が伸長されてしまうのです。それで無限に増殖することができるわけなのですよ。だからこの弟がやっていることは、この知識を知らない人にとっては「感動的だ!」ですむかもしれないけど、私から見れば、父親の癌がますます進行するように呪いをかけているとしか思えない行為です。やはり、小説にも科学技術監修は必要ということで、ご用命はお近くの技術士までどうぞ。(笑)