ここログ 前編

今晩は美術鑑賞サークルで山梨県立美術館に行った際に立ち寄った、ワイナリーで購入した「デラウェアにごり」を飲みながらお送りしています。(すっかり酒飲み?)


たとえ何らかの都合で東京を離れることがあったとしても、参加し続けたい読書会があります。inaさん主催の「本の街 神保町DE読書会。」課題本が設定されるようになってから、参加者の皆さんの鋭い読みやF先生の専門家としてのコメントを聞かせていただくと、まだまだこの世界には私の知らない興味深い物事が存在するようだ、と人生の奥深さに深い感慨を覚えたり、また一つ賢くなれたような気がする、とウキウキした気分になるのです。


出張中、雪のちらつく福岡にて、「結露しないように、室温になるまで装置の電源を入れてはダメ」という命令を忠実に守ったせいで、作業台の高さを調節できず、落下してきた鉄板で指を切り、涙目になりながらも装置を組み立てておりました。その翌日、若い男性だらけの工学部でのトレーニングを終え、(←なんか疲れました。やっぱり囲まれるなら女子がいい〜!笑)土曜日の、「こころ」の読書会に馳せ参じました。


「こころ」を読んだのは高校以来であり、細部は忘れておりましたが、ああそうそう、こういうストーリーだったと懐かしく思い出しました。
まずは衝撃の解釈から。今回は前半部が対象だったので、先生の遺書は含まれておりません。なんとですねー、先生の死後、「私」は奥さんと結婚するそうですよ。

新潮文庫版のp.29
子供を持った事のないその時の私は、子供をただ蒼蠅いものの様に考えていた。

今ではその奥さんと子供まで設けているという解釈が成立するそうな。

p.7
私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。…余所々々しい頭文字などはとても使う気にならない。

先生が遺書で親友を「K」と略していることに対する批判ですかね。
この作品では対比が上手く使われています。新装版ではこの本の表紙は純白なのですが、「白」は奥さんのテーマカラーなのです。反対に「黒」はKに対して用いられているようです。先生は奥さんの穢れなき美しさに惹かれているようですが、結構、コケティッシュな態度を取る人ですよね。「私」も先生のことを相談されながらも、知らず知らず誘惑されていたのではないかと思います。
また漱石が重要視するポイントとして、「中間を選ぶ」という特徴があるそうです。AまたはBのどちらかを選択することで、他を切り捨ててしまうこと自体が漱石的にはNGだそうです。


あとは先生の男色説。高校生のときにも現代文の先生から説明されたことがあります。先生は私に対して、どうも特別の感情を持っているようなのです。

p.42
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかも知れません。然しそれは恋とは違います」
「恋に上る階段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」
「いや同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。…」

満足を与えられないって…。(笑)男性のエリート同士の恋愛。モーリス、アナザーカントリーの世界。お止めしませんわ。


登場人物、特に私の心の動きの描写に重きを置いているせいか、風景の記述などは割合あっさりしています。作品ごとに作風を変えられるところが、作家の力量なのでしょうね。後期の三角関係シリーズも是非読んでみたいと思っております。