3月に読んだのは…C社との契約書です。(泣)

3月は年度末ということもあり、非常に忙しい毎日でした。ただでさえ、納品に伴う顧客トレーニングが多いのに、上司から重要な英文契約書の読み込みと新旧契約書の対比表作成を申し渡されました。私はそれを粉雪舞う札幌やら休日出勤で真面目に粛々と進めてきたのです。そのせいか、先月は全然本を読む気力が湧かず、ぐうたらな私生活を送っておりました。そんな中、Booknaviクラブで貸していただいた本はちゃんと読まなくちゃ、と取り組んだのが次の直木賞受賞作です。
☆悼む人 (読む予定のある方はここから先は見ないで下さい!)

悼む人

悼む人

天童荒太作品では「永遠の仔」にとても感動した私ですが、本作品は感情移入して一気に読み終え、感動の余韻に浸る…というタイプの小説ではないですね。一読して分かりにくい。分かりにくい分、これはどういうことか?と考える契機を与えてくれます。
主人公の静人は全国各地の事件の被害者として亡くなった方を悼む旅を続けています。生前の人となりを調査するポイントは「誰に愛され、誰を愛し、どんなことをして人に感謝されたか?」です。人生はその3つの出来事に集約できるということでしょうか。
ところで、そもそも自分の死後、その死を悼んでほしいと思いますか?そりゃあ誰だって、人から大事に思われたいでしょう。身近な人に覚えていてもらいたいという気持ちは自然だと思います。しかし、自分が全く知らない他人に悼んでもらいたいでしょうか?しかも、すでに死んでいる自分にはそうやって悼んでくれている人の姿は知りようがないのに。私自身は死んだらおしまい、という覚悟があり、死後のことまで気にしません。それより生きている間の人間関係を大事にしたい。…と思ったところで、死を怖れる人とは、現在の生が充実していないのだなと気づくわけですね。家庭不和、職場のギスギスした人間関係、自分がここで死んでも悲しんでくれる人すらいないかもしれないという孤独感―――それを癒してくれるのが、どんな人の人生にも意味はあると肯定してくれる「悼む人」の存在なのです。本来ならば、神仏が担っていた役割を静人は負っているわけです。そして、悼む作業に集中する彼は、自分自身の人生を生きることを忘れてしまっている。それを思い出させてくれたのが旅の道連れだった倖代です。彼女に促されて実家に戻ったおかげで、母の死に目に会えた。物語の中で唯一、母、巡子だけが気がかりだった静人と再会でき、孫の誕生にも立ち会え、死後に悼まれずとも充実した人生を終えることができた人だったと言えるでしょう。我々は一見奇妙に思える「悼む人」の行為を通し、今生きているこの瞬間こそが重要だということを再認識するのです。


☆最後の授業

最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに

最後の授業 DVD付き版 ぼくの命があるうちに

がんで余命短いことが判明した理系大学教授の著書。DVDはまだ見ていないが、本を読む限りでは、ありがちな闘病記かな〜とある程度想定内の文章。しかし、ここだけは違った。

「君が賢いのは知っている」と、僕は言った。「でも、ここにいる全員が賢い。賢いだけではだめだ。僕が研究チームに求めるのは、一緒にいるみんなが幸せな気分になることを手助けできる人だ」

この一節だけで、読んだ価値があると思えるのだった。


☆お客さんとのやりとりは本にもドラマにもなるぞ、たぶん。
新年度を迎え、会社のメールを整理していて気づいたのですが、前述のM氏とは他の顧客とは比較にならないほど頻繁にラブレターのやりとりがあるのでした…クレームという名の。
これは最初にM氏に指摘された大きな問題が解決されない限り、続くことが予想されますが、そう簡単には片付けられないため、私としては、米国のメーカーに進捗状況を聞き、なるべく1週間に1度は報告するようにしているのですけどね。あまり、仕事のことばかりだと、文面が無機質になりがちなので、M氏ゆかりの大学に訪問したときの話だとか、こちらのどうでもよい近況などを書いていると、まるでメル友だったっけ?みたいな錯覚を起こしそうです。M氏のほうは、少し間があくと忘れられていると思うのか、別の質問を寄こしてきます。時々は電話もかけてきます。しかし、そんなの自分で調べられるだろ、というようなレベルのことが多いのです。甘えられているのでしょうか?とりあえずは相手の気分を害さないように引き受けるのですが、受話器を置いた途端に、「自分で調べろよ!」と思わず声に出して言ってしまう私。完全な二重人格ですね。まぁM氏はベースは賢い人なので、こういう方法で解決されないクレームに関して、プレッシャーかけてるんだろうな〜と思いつつ、またメールのやりとりが続いていくのでした。キツネとタヌキの化かし合い?
別の地方在住の方で、実験がうまくいかない愚痴みたいなのを電話で延々語る人もいますね。しかも発音が不明瞭で何を言っているのかよく分からなかったりして。でも、聞いてほしくてしゃべってるんだから、まあここらで相槌打っとくか、といーかげんなカウンセラー気分になることもあります。
他のグループの話を聞いたところ、ある日、白紙のFAXが送信されてきたそうです。変だなぁと思っていると、数日後にさる研究者から、「返答がないのはどういうことか?」という電話があったらしい。送信日時を聞くと、どうもその白紙FAXしか該当するものがないので、その旨伝えると、「どうして私だって分かってくれなかったんですか!?」と言われたとか。分かっちゃったら逆に恐いでしょうが。
いやぁ、人間って奥深くて探求のしがいがありますね。Love My Job!!