きびしさとやさしさと

「自分に厳しく他人に優しく」は理想だけれど、なかなかうまくいかなかったりする。
仕事中、訪問先で出会った研究者の方とか、プライベートで出会った大人の方々の中には、慈愛の心にあふれており、なんとか場を盛り上げようとこちらの気持ちを汲んでくれたり、ミスを寛大にも許してくれたりする人がいる。面倒くさいであろう依頼をそんな素振りを全く見せずに、快く引き受けてくれる方も。その優しさに心を打たれたときには、「私もこんなふうになりたい!」と思うのだけれど、簡単には真似できない。もちろん、自分に余裕があって、利害が相反しない場合には私も実行している。背の高さをいかし、フライトアテンダント気取りで飛行機の棚の荷物を降ろしてあげるくらいは。騎士道精神は持ち合わせているほうだ。先日、客先で機械の調整をほぼ終え、後ろを振り返ると、営業さんが立ちっぱなしで死にそうな顔をしていたので、椅子を譲った。「まぁHさん、座りなよ。」と半ば命令口調で。「まぁ一杯飲めよ。」的に周囲の人には聞こえたかもしれない。皆の疲労を感じ取った修理担当のSさんが、「今日はあと○○と△△の調整が出来たら、終わりにしよう。」と言ったので、思わず「えっ、ほんと?やったっ!」とHさんを励ます意味でも明るくふるまったら、隣りの装置で作業している研究者が肩を震わせ、声なき大爆笑をしていた。ねずみを使った実験でそんなに楽しいこともないだろうから、おそらく私の発言を笑っているのだろうけど、そんなにおかしいかな?行く先々で失笑を買う女、KYOKOなのであった。


そんな私もまじめに怒るときがある。それは機械の修理や設置に何かしら手を抜いたせいで、お客様に迷惑をかけたとき。もちろん説明係の私が一番のさらし者になるのだが、それよりも通常どおり作動しなかったことで、装置や会社の評判が落ちること、お客さんの時間をも無駄にしてしまうことが許せない。もう少し言い方を選べば某担当も私を怖がることはないのかもしれないが、いつも甘ったれた感じで、謝罪の言葉もないので、怒り倍増なのである。こんなときにはとても優しく出来ない。一方、H氏も結構ミスの多い人なのだが、低姿勢ですぐに謝るし、そしてどことなく僧侶やお地蔵さんをイメージさせる風貌なので、なんだか怒りにくい。一応、外部のお客様=他人を守るために、身内に厳しいのは仕方がないことだよね?森高千里もコンサートでバックバンドの人が演奏を間違えたときには、歌いながら後ろを振り返ったときに、キッと睨みつけていたらしいから。(実はこういうエピソードが好きだったりする。笑。)上に挙げた優しい人たちは、怒ることがあるんだろうか。最終的には怒らなくても人を動かし、きちんと対応してもらえばいい話なので、もっとエレガントな方法があるなら教えてもらいたいものである。


☆Je suis a Montreal maintenant.
モントリオールで秋を先取り!と思ったけど、意外と気温は生暖かい感じ。人口密度の低い大都会にいるような感覚だが、人々は優しく見える。先日、一緒にアキバのメイドカフェに行ったマラカスさんが「秋になると、恋しなくちゃ、って思うよね。」なんて言っていて、恋の季節って夏だとばかり思っていたけれど、それならば「私はモントリオールで恋をする」と心の中でつぶやいてはみた。…が、やっぱり何事もなく日本に帰国する確率99.999%だね。これから学会の早朝セミナーに行ってきます。