世界は私の前を通り過ぎる

最近はとんと見かけませんが、フランス映画界にはロマーヌ・ボーランジェという女優さんがいました。見る映画を女優で選ぶ私は、彼女の出演作品をよく見に行っていたものです。その中に「伴奏者」という題名の映画があり、常に脚光を浴び、華やかだけど家族関係に難のある声楽家の女性のために、地味にピアノを演奏する「伴奏者」として人生を送る役を演じていたのです。声楽家が光なら、伴奏者は影。主役になることのない彼女はいつも、心の中で「世界は私の横を通り過ぎる。」とつぶやいていたのです。
少し違っているかもしれませんが、私も同様の感想をよく持ちます。私は映画を見るのが好きなのですが、私にとって世界は、目の前で次々と場面が変わっていくスクリーンのように思えてしまいます。私はスクリーンの中の登場人物(Playerもしくは「行為者」)ではなく、ただそれを眺めている「観察者」なのです。そして、自分でも、観察していろいろと分析を行うのが好きなのです。「見る」快楽の追求というべきでしょうか。観察している間は徹底的に受身で、積極的には動きません。どうも自分が行為者へと変貌して、スクリーンの中の人達に影響を及ぼすのが嫌なようです。私は彼ら(スクリーンの人達)を知っているけど、彼らは私を知らない。彼らは私に影響を与えるが、私は彼らに影響を与えない。一方通行の関係。しかし、現実としては、一緒の空間に生きているわけで、私としては自分が透明人間にでもなったかのように、気づかれずに、かつ徹底的に観察したいと思います。
もちろん、あまり他人を振り回さない範囲で、私は自分が楽しいと思うことを貪欲に追求する「行為者」であることもあります。しかし、基本はとても受身の人間であり、時々正体を見破った人に「案外草食系ですね。」と言われます。いやいや、私は動物ですらなく、植物(草)なのですよ、元気はよいけどね。だから動きません!(笑)しかしまぁ…、困ったものです。


モントリオール便り
ようやく学会が終了しました。昼間はよく晴れると暖かいのですが、朝晩の冷え込みは厳しく、やはり寒かったです。昨年、ノーベル化学賞を受賞したRoger Tsien博士も会場に来ていました。講演を拝聴すると、頭が切れ、ユーモアを持ち合わせている方なのはすぐに分かるのですが、近くに寄ってもあまり威圧感やオーラを感じさせない、小柄な研究者でした。実際、ポスター会場でポスターに見入っていると、すぐ隣にいることに気づき、わが人生で最もノーベル賞に近づいた瞬間だわ!!と思ったものです。(江崎玲於奈氏にも接近したことはあるけど、10メートルは離れていたはず。)
モントリオールは大都会なので、あまりカナダに特徴的な風景というのを見ることはできませんでしたが、空き時間を利用して、モントリオール美術館やノートルダム大聖堂には出かけました。結構物価が高いので、ショッピングには向かない街だと思います。フードコートでちょっとしたヌードルと飲み物を頼めばすぐに10ドルを超えます。明日、飛行機に乗って日本に戻りますが、早くおいしい日本食を食べたいです。(カナダ滞在中は信玄餅と柿ピーが心の支えでした。)

モントリオール美術館)

(旧市街港付近の公園)

ノートルダム大聖堂