連想と共感でダラダラ書く日記

私は美しいものが好きだ。イヤな事があっても美術展に出かけたり、お気に入りの画集を眺めていると、心が慰められる。しかし、美術鑑賞サークルに属しているのに、その話をあまり書かないのは、主にサークルの掲示板に感想を書くことにしていることと、もともと作者が「絵画」で表現したものを、わざわざ言葉で表現し直すのが難しいからである。しかも、教養が不足しているので、作者の意図を正確に理解しているかどうかも怪しい。先日は「レンピッカ展」の企画があり、レンピッカというアーティストを全く知らなかったのだけど、「緑の服の女」のポスターに惹かれ、見に行ってきた。

レンピッカ展  http://www.ntv.co.jp/lempicka/index.html

キュビズムの影響を受け、妙に人の顔が面で構成されているような初期の作風から、数々の魅力的な女性を描いた最盛期の作品への変化。顔の表情はなだらかな曲面で表されているのに、そのほかの部分がやはり一枚の布で表現されたような面で描かれているので、かなりインパクトがある。「緑の服の女」の巻き髪を見て、蛋白質のモチーフ構造を模式的に表したα-helixっぽい…と感じてしまう私はバイオと芸術の融合を夢見る日々を送っている。

さて、文化村に来たついでに映画でも見ようか、と上映作品をチェックすると、少々気になっていた「ニューヨーク、アイラブユー」の最終回に間に合いそうだった。映画のはじめにはBunkamura自体のCMが流れる。

Bunkamura ドゥマゴ文学賞受賞 「ドーン」平野啓一郎

ドーン (100周年書き下ろし)

ドーン (100周年書き下ろし)

そういえば、この本、なんだか読みにくくて途中までしか読んでなかったよ…。そんなことを思い出しながら、こじゃれたNYで織り成される人間模様を鑑賞した。悪くはないけど、これより「時をかける少女」の方が感動するので、乙女の皆様にはお薦め。


翌日、早速「ドーン」の世界に浸ってみた。火星に向かう宇宙船の中で精神不安定になり、妄想をわめき散らす飛行士、妊娠してしまう女性飛行士・・・とストーリーはなんだかスキャンダラスなのだが、自分が注目している人が街で何をしているのか、画像を検索できる「散影」というサービス、一人の人間の中に他者との関係で個別に形成されるdivisualな自分「分人―ディヴ」というアイディアは面白かった。
しかし、現在の自分の状況と似ているということで、不思議と目にとまった文章は次の部分だ。

気にしたつもりもなかったクルーの言動が、意外なしつこさで記憶にこびりついているのを目にして、自分が傷ついていたことを初めて知った。


将来についての話をしているときだった。しかし、その日は特にそういう話をするつもりはなかった。基本的に自分のことは自分で考えて決めることで、独立心旺盛な私としては、他の人にとやかく言われたくないのだ。
結果として、時間を置いて、私は友人に言われたことにひどく立腹してしまった。少しのことならムッとしても聞き流せる。ただ、ガンだって単一遺伝子の変異で起こるものではない。複数の遺伝子の変異が蓄積されて発症するのだ。そのときも幾つかのポイントが重なってしまったのである。

・今日はしない(と予告した)つもりの話を話題にされた
・自分だけに決定権のあることなので、口をはさんでほしくなかった
・自分が挑戦する方向でなく、妥協する方向での転身を勧められた
・私のための助言の体裁を取りながら、その人の希望を押しつけられただけだった


特に3番めの発言は堪えた。少しでも成長したいと思って取り組んできた長年の努力を全否定された気がした。あなたには才能がないんだから、そんなにこだわってどうするの?と言われたのも同然だった。しかも何の悪気もなく。他人の認識なんて、所詮こんなものなのかもしれない。でも、私をこんなに傷つけておきながら、その自覚が全くないなんて許せない!と落ち込んだ気持ちは怒りへと変化し、抗議行動に出たのであった。


人生の目的は「自由になること」だと、森博嗣先生は書いている。

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)

自由をつくる 自在に生きる (集英社新書)

私は自由を脅かす気配には敏感だ。いたるところで無邪気に、あるいは確信犯的に自分を支配しようとする他者の介入を巧妙に避けなければならない。
人生は人間同士の欲望がぶつかり合う戦場なのだ。